モーツァルトは、実は女性だった‥?
あまりにも有名な天才音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが、女性であるという性を世間に隠して音楽界を奔走していくという奇抜な設定で、その性別隠しゆえの周囲の複雑な愛憎とエンタメ要素盛りだくさんのドラマ漫画です。
モーツァルトの『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『魔笛』などのオペラ楽曲がキャラクターの深層心理や時の流れを絶妙にビジュアルされて独特な世界観に仕上がっており、福山庸治(ふくやまようじ)先生のベスト漫画とも言える傑作です。 1991年に音楽座によってミュージカルとして初演されています。劇中音楽を小室哲哉が担当し、今も人気のミュージカル作品。
18世紀末のザルツブルグ。少女エリーザがおふざけで即興曲を弾いていたところ、音楽家の父親レオポルトに音楽の才能を見込まれます。女性では有名音楽家になれないということで、エリーザは抵抗もむなしく父に髪をバッサリ切りおとされ「男」として育てられることに。
神童から若き天才音楽家として成長したモーツァルト。でも無邪気でちょっと下品で奔放な性格は、男性として幼馴染のコンスタンツェと結婚してしまうし、弟子ジュスマイヤーと妻の不義の子供を容認するし、ライバルの宮廷音楽家サリエリを才能ばかりか性的魅力で虜にするし、まさにオペラのような下世話な騒動劇。
好き嫌いの一言では言い難い複雑な愛憎が彼(彼女)の周囲に絡み合います。ずっと彼(彼女)を覆い続けた存在の父親の死により咎が外れたモーツァルトが撮った行動とは。そして日々病んでいく身体に襲いかかる魔の手はどんな結末を意味するのか?
まるで全編がハイライト!集約されたオペラのような名場面が盛りだくさん

正直3巻では尺が足りなかったのでは?と個人的には思うくらい、もっと展開を掘り下げて欲しい部分が随所に見られた作品です。
けれども無駄を一切はぶき、要所の場面のみ切り取って貼りつけたかのような、ダイジェスト版を毎回見ているような気分になるほど名場面がぎゅっと集約されています。
鍵となるのがエリーザの父親の存在。音楽家として成功するためのモチベーションといえる父の存在がなくなってから心の中で何かが弾けてしまいます。男として育てられた女性に変身する様はまるで蛹が蝶になったかのよう。無邪気さゆえに、周りを引っ掻き回しす展開がトントンと畳みかけられて目が離せません。
福山庸治先生の独特の世界観で音楽の強弱や光と影が見えてくる

とにかく、福山先生の描く独特なコマ割りの強弱とテンポがまさに職人技。そしてキャラクターのセリフが詩的でシアトリカルで、一つ一つのコマが計算されて尽くしたレイアウト。
コマ割りでこんなに漫画がドラマティックになるのだ、と漫画のテクニックの凄さを気付かされた最初の漫画でもあります。どこを切り取ってもミュージカルや映画の一シーンにできるくらいのドラマティックな展開です。
ウイーンをメインとするヨーロッパの風景がとても素敵に描かれています。アングルとコマ割りが本当に個性的でかつ印象的な福山先生ですが、人物の色っぽさや濡れっぽい印象などは、福山作品の前後を見ても、このモーツァルトがまさにピークだったのではと思います。
モーツアルトはエロティックで「コケットリー」

作中では音楽とともに、性的な興奮も重要な要素です。福山先生の描くモーツァルトは表情が無邪気で、男装なのにみょうに色気が感じられます。
それにいち早く気がついたのがサリエリですが、友人で仕事仲間であるシカネーダーもモーツァルトを「コケットリーでエロティック」と言わせてます。「コケットリー」って?と思わず調べてしまいました。
童顔で無邪気なのに、突然胸をあらわにするシーンなどのギャップがエロティックで、彼の魅力に、サリエリが翻弄される様子がたまりません。
映画「アマデウス」と比較すると余計に面白い

モーツァルトのイメージは好青年という印象がぼんやりあったのですが、映画「アマデウス」を見て見事に覆されました。実は下ネタ好きで下品な笑い方をする無邪気な悪魔のような性格、そしてサリエリの執拗なまでのモーツァルトへ対する嫉妬と執着が映画では描かれています。
おそらく福山先生は「おなら」エピソード含め、大なり小なり映画のインスピレーションを得ているのは間違いないのですが、女性であるというオリジナル設定を加えることで、キャラクターの心情がさらに複雑化してパワーアップしてます。サリエリの嫉妬と紙一重のような狂おしい恋慕、妻コンスタンツェの同性としての理解者、でも法的には不義を犯しているという嫌な女の二面性が感じられます。
どろどろとした昼メロ要素がいっぱいなのに、それを音楽で浄化させ、独特の角度と手法でもう一つの別のモーツアルトの物語を仕上げた福山先生に感心させられます。